--1960年の浅間高原・軽井沢(長野・群馬)--

 1960年(昭和35年)4月の軽井沢から浅間高原・北軽井沢周辺です。

 草軽電鉄の新軽井沢駅から国境平駅まで乗車しました。草軽電鉄は4月25日に新軽井沢−上州三原までが廃線される予定で、その廃線の3週間ほど前でした。

 国境平の駅は名前の通りの辺境の地で、人家は一軒もない閑散とした場所だったように記憶しています。ただ、待合室代わりに、かつては使われた古ぼけた展望車両がおいてあったのが印象に残っています。

 草軽電鉄は軽井沢から草津温泉までの55.5キロを走っていました。本来は草津や白根の硫黄鉱山の鉱石運搬から観光用への転換を目指して作られた鉄道ですが、大正4年の一部開通から台風で鉄橋が流出して、結局1962(昭和37年)2月の廃線まで、一度も黒字になったことがなかったそうです。

 この鉄道は日本で始めてのカラー映画「カルメン故郷に帰る」(1951年)にも描かれています。

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国境平から浅間山・浅間牧場方面です。右側の柵はモトクロス用のロードレース場です。今はありません。

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浅間牧場から浅間山方面です。

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浅間園、浅間山の大噴火の記念館です。

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当時の草軽電鉄の新軽井沢駅です。今のJR駅の国道を挟んでの向かい側です。今でも草軽交通の本社でバスが発着しています。

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草軽電鉄の北軽井沢駅です。地名は北軽井沢と軽井沢の隣のようですが、軽井沢から25.8キロ約1時間半かかり、ここは群馬県です。

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