-- 1957年八幡平十和田湖--

古い写真をまた引っ張りだしましたが、カビだらけで、余りにひどくて、少し修正しようとしたら、てこずりました。
3枚の修正で午前中いっぱいかかってしまいました。カビを削っただけですが それ以外は褪色がひどくて、手をかけてはいません。
こんなものでしょうか。 フィルムはサクラカラーポジとフジの白黒反転フィルムです。
1957年(昭和32年)8月下旬に八幡平から十和田湖へ一人旅をしました。
上野から夜行列車で盛岡−大更−鉱山鉄道で屋敷台(松尾鉱山)、ここから八 幡平をハイキングで蒸の湯泊まり、トロコ温泉まで下って、バスで花輪駅まで、 花輪−(花輪線)毛馬内(今は十和田南)まで行って、国鉄バスで発荷峠経由 で十和田湖休屋まで、この日は博物館ユースホステルに泊まって、奥入瀬を歩 いて、バスで酸ケ湯温泉へ、ここで泊まるつもりでバスを降りたら、なんと満 員で泊まれません。 酸ケ湯温泉はバスの駅ですが、立派な駅舎があって、出札窓口もありましたが、 ここで相談したら、「この周辺では途中に谷地温泉があるけれど」下車してか ら徒歩5分ほどかかるし、これから出るのは本日の最終バスとのこと。 谷地温泉には電話がないので、あとは運を天に任せるだけ。 たまたまこの駅で同様に満員で断られた二人連れの大学生くらいの男性と一緒 になりました。
結局、谷地温泉の自炊部に3人で泊まることになりました。 それ以来、年賀状のみの挨拶が続いていました。幾星霜、もう45年ですね。 最近メールのお付き合いができました。それしかお付き合いのなかった人が先日の神田雑学大学に来られて、懐かしい昔話をすることができました。
人の縁て不思議なものですね。

 

1957年十和田湖/01 八幡平の頂上。
なだらかな山頂にやぐらがありました。
1957年十和田湖/02 スキーのツアーコースがあって、300番目が山頂でした。
ここは298番ですから山頂直下です。
1957年十和田湖/03 蒸の湯温泉(ふけのゆ)オンドル方式もあって、蒸気泉の元祖です。
玉川温泉と並んで何棟もある大温泉でしたが、台風の崖崩れで流れてしまって、今は再建していますが、小さな温泉となっています。
この当時は収容能力200人以上だったと覚えています。
今は2−30人程度でしょう。
1957年十和田湖/04 トロコ温泉のバス停留所、この写真は読めませんが
フィルムでは手前がトロコ温泉、向こう側が花輪と読めます。
1957年十和田湖/05 発荷峠の展望台ではバスが5分間停車してくれました。
1957年十和田湖/06 青森港の風景
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