--1957年(昭和32年)の尾瀬--

 群馬県と福島県、新潟県の県境にまたがる尾瀬は日光国立公園の一部ですが、 珍しい高山植物や自然が保存され、環境保護のために特別な風致地区に指定され ています。

 昭和28年頃から何度も行っていますが、カラーで撮影した写真が1957年(昭和32年)のフィルムがあります。さくらカラーのポジフィルムですが、ほとんどが褪色してしまって、僅かにこの何枚かだけがカラーであることがわかりそうです。

 ケースの中に入っている説明では感度がASA10となっています。撮影条件は晴れで普通の被写体はF4-5.6で1/50で、11月から3月までは2倍の露出と書いてあります。

 このうちの一枚(2)は2001年に送信した写真が含まれています。

前へ ホーム 次へ
1957年(昭和32年)の尾瀬01

当時も夏季は上野からの夜行列車に接続して、バスは上越線の沼田駅から早朝2時半に出発して、大清水や富士見下には3時間かかって、5時半の到着でした。

ここは大清水から登った三平峠です。ここまでが2時間半ほどの登りで、この後、尾瀬沼までは下りで、もう僅かです。

1957年(昭和32年)の尾瀬02

明るく開けた尾瀬沼脇の大江川湿原です。後ろは燧ケ岳です。

1957年(昭和32年)の尾瀬03

菖蒲平(アヤメダイラ)は珍しい山頂にあった高層湿原でしたが、その後、登山者が増えるにつれて急激に乾燥化してしまって、今では池塘や湿原は見られなくなったそうです。当時はこのような湿原で、貴重な写真です。

1957年(昭和32年)の尾瀬04

1957年(昭和32年)の尾瀬05

尾瀬ヶ原の一部分ですが、今はこの木で作られた歩道は複線ですが、当時は単線で、しかも、まだ一部分しかありませんでした。この写真はカラーでしたが、登山者の服の赤い部分が僅かに残るだけで、完全に褪色してしまっていますので、白黒に転換しました。

1957年(昭和32年)の尾瀬06

大清水と富士見下が唯一の登山口で、鳩待峠はなく、沼尻口もまだ檜枝岐までしかバスは開通していませんでした。ここは富士見下のバスの折り返し所ですが、道路はこのように超デコボコ道でした。左が富士見小屋です。

1957年(昭和32年)の尾瀬07

沼田駅前のバス発着所です。バス代は3時間乗って240円でした。

2004 Masamichi Toya. All Rights Reserved .
前へ ホーム 次へ