群馬県と長野県の県境にある浅間山2560メートルが噴火をしたニュースが伝えられました。
三宅島などあらためて、日本が火山国であることを知らされたようで、桜島や阿蘇山など、現に毎日小噴火を繰返している山も存在しているのです。
浅間山は天明3年(1783年)7月に大噴火を起しました。その噴煙は東北地方から成層圏にまで届いたと言われています。その前年から低気温が続き、歴史に残る大凶作となり、翌年にかけて、天明の大飢饉と呼ばれています。この凶作は浅間山の噴火の噴煙が太陽光をさえぎったことも原因の一つとしてあげられています。
この浅間山の噴火のときの流れ出した溶岩は厚さ30メートルに達し、当時の鎌原村の118戸全部が岩石流や土石流で流失したのを初め、付近の6カ村が全滅、被害は関東地方にまでおよび、55か町村が被害を受けたと記録されています。
この鎌原観音堂は50段あったのが、ここに見える15段を残して7−10メートルの溶岩流の中に埋まってしまい、この村で唯一この観音堂に逃げた93名の人だけが助かることができました。今は厄除けの観音堂となっています。
今また浅間山の噴火のニュースで、2001年6月に撮影した観音堂の写真を引っ張り出しました。残った15段の生死を分けた観音堂の写真をご覧ください。
浅間山の写真を探しましたが、適当なものが見当たらないので、古いものを出しました。カラーですが、褪色しています。
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