群馬県西部の2000メートル級の山に囲まれた古い歴史を持つ温泉です。
1918年(大正7年)に火災に遭い、当時十数軒あった旅館がこの1軒だけ残して焼失し、2キロほど北に移動して、新鹿沢という名前で温泉場を作ったと言う記録があります。そのためここは旧鹿沢とも言われます。
標高1500メートルに位置し、静かな渓流を後ろにしています。ここから2キロほどの湯の丸高原は6月のレンゲつつじの群落で有名な場所です。
この温泉場へ行ったのは昭和35−36年ごろではないでしょうか。約30年ぶりに行って見て、建物などは昔のままであるのに驚きました。ただ違うのは以前は細い山道が立派な道路になっていたことでした。この温泉は当時も一軒宿でしたが、その道にある「道しるべ観音」を数えながら歩いたことを思い出しました。
この百番観音は一番から百番まであって、百番がこの旅館の脇で、一番は元の信越線(しなの鉄道)の滋野駅近くの東御市(とうみし)にあるそうです。このルートは現在は立派な県道になっています。地蔵峠1732メートルが最も高い場所で80番があります。
スキー宿として有名ですが、雪山讃歌の宿としても知られています。後年南極越冬隊長として知られる西堀栄三郎氏他の作詞とされていますが、大正15年京都帝大山岳部のころ、雪に閉じ込められたこの温泉で、アメリカの「いとしのクレメンタイン」の曲に日本の歌詞をつけて、京都帝大山岳部の歌として作ったものだそうです。
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